初めてもった感情に収集がつかなくなってきているのを実感した。
俗に呼ばれる『恋愛感情』というものに縁も無かったのだから、当たり前といえば当たり前かと一人納得する。
そんなことに一通り思考を巡らしたのちに、完全に硬直している彼女に目を向けた。
「…雛森?」
問い掛けても返事がない。
銅像より見事に硬直している。今、彼女を叩いたらコンコンと音が鳴るのではないかと思う程だった。
大きな声を出そうかと思って息をすいこみ、そこで思いとどまった。
変わりにそっと彼女の耳元に口を寄せて囁く。
「桃?」
「ひぁぁぁぁぁ?!!!」
予想通り…いや、予想以上の反応に思わず悪戯をした日番谷本人まで驚いて肩を竦めてしまった。
「ひひひひひひ、日番谷君?!何やってるんですかぁっ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶ雛森に、日番谷は思わず呆れた声をだした。
「…そこまでビビる事ないだろ…」
彼女は慌ててすみませんとぺこぺこ頭を下げた。
いや、別にそこまで謝る事でもと苦笑すると、彼女は再び慌てて謝った。
「…まぁ、ともかく。こっちが書庫で、こっちがお前の部屋だから。んで、あっちが使用人の…って、聞いてるか?」
また呆然と固まる雛森に、日番谷は調子狂うな、と小さく呟いた。
一部屋一部屋、説明するたびにこのノリだ。
自己主張の激しい女ばかり見ていたせいか、久しい反応がやけに新鮮に感じる。
「すぐ夕飯になると思うから、とりあえず少し部屋で休んでおけ。呼び鈴があるから、何かあったら。」
告げられた言葉に、雛森は少し躊躇いがちに頷いた。
それを確認してから部屋を出ようとした日番谷は、ふと足を止めて彼女を振り返った。
「…キツネには気をつけろ。」
少しばかり真面目な顔に、雛森はきょとんとして首を捻った。狐などここらに出ただろうか。
日番谷は話が通じていないことを感じながらも、その話を打ち切った。
「ま、ゆっくり休め。」
自惚れのせいなのかもしれないが、ふと彼女の瞳の色彩が揺らいだ気がしてまた足を止める。
何時までも此処に居るわけにもいかないのだが、と思い、それから日番谷は既に後ろ髪引かれる想いの自分を自嘲した。
「…また、後で。」
そういい残すと、雛森の顔を見る事無く扉を閉じた。
扉をじぃっと見つめて硬直していた雛森が、数秒送れてぽんっと音が聞こえそうな程急に真っ赤になった。
反則だ、と雛森は思う。反則だ。
ふるふると頭を振って、とりあえず周りを見渡してみる。
三人ぐらい、平気で寝れるのではないだろうかと思う程に広い、天蓋のついたベッド。
酷く凝った装飾のレースのついた窓。
五十音に整列された本棚。
一年かかったって着きれない数の服の入ったクローゼット。
一通り見終わった後に、雛森はベッドの端にちょこんと腰をかけた。
これが貴族の暮らし。想像することすら出来なかった、階級の差。
胃がチクリといたんだ。あの冷たい柵の中で共に過した彼女達は、一体どうしているだろうか。
例えばこのペンを売って、彼女達に渡すことができれば、それだけでー…
そんな考えが浮かんだが、泥棒をすきる気にはなれなかった。
自分は今からどうなるのだろうか。
とって食われてしまうのかもしれない。世界には、本当に人肉を食す人も居るそうだから。
それでも、その前にこれだけの待遇を下さるならばそれでもいいかもしれない。そう、雛森は疲れて思った。
あまりにも様々な事が一度に起きすぎた。
視線を落とすと、そこには豆だらけで硬くなった、ボロボロの手の平が映っていた。
(…あの人達の手、綺麗だったな。)
着替えの手伝いをしてくれた使用人の手を思い出す。
質素に透明のマニュキアで塗られた、整えられた爪。
傷一つない、見事な手の甲。
そうして、日番谷の手を思い出した。
既に男として完成した、硬い手。少しばかり、幼い顔には不釣合いの。
こんな手を見て、彼はどう思ったのだろう。
そう考えると、理由もわからず涙がにじんだ。
(こんな、男の子より汚い手)
誰が見ているわけでもないのに、雛森は涙を隠すためにベッドに伏せた。
少しづつ、誰もしらないところで。
世界が変わっていっていた。
::後書::
酷く久し振り更新。
それにしても話に無理がありすぎる…